昨日、『RAPT理論+α』に紹介された記事について、
【三浦春馬の死の謎に迫るⅡ】竹中平蔵は出口王任三郎の子孫 パソナ島と化した淡路島も、王任三郎の重視する「エプスタイン島」だった https://t.co/994olS9WiJ
— RAPT理論+α (@Rapt_plusalpha) July 13, 2021
さらに調べていたら、「言霊」についてのブログ記事を見つけました。
大石凝真澄(おおいしごり-ますみ)
(1832年~1913年)
滋賀県甲賀市出身
-言霊学者-現代のスピリチュアリズムの連中なんかは、口を開けば、「言霊」が乱れてるねとか、言い、良い「言霊」を使おうねだとか、言っておられますが、この「言霊」がどういうものか本当にご存じなのだろうか?
『言霊信仰』を豊田国夫は次のように定義する-「言霊信仰」とは、特定の言葉に霊能が宿っていて、
「かく言えばかくなる」ものと信じられた、主として古代
あるいは、発展途上社会でのアニミズムに属する言葉の
精霊信仰である。-この言霊学を研究したのが江戸時代の学者、中村孝道(なかむらこうどう)である。
中村孝道は日本語の75韻が「天地万物の大元」であると考えた人物である。この人物から言霊学をまなんだのが、大石凝真澄の祖父の望月幸智でした。
ちなみに中村孝道は日本語は75韻だと言っていますが、上代の日本語は87韻あり、これを「上代特殊仮名遣い」といいます。
上代特殊仮名遣いは国学者や本居宣長が『古事記』や『万葉集』を研究した際に、見つけ出した音韻法則でした。つまり、出だしからまちがっているのです。大石凝真澄は、「天津金木」と「天津菅曾」という行法で天地万物を知ろう
としたわけです。現代のスピリチュアル連中でこの行法を知っているものは殆ど皆無です。大石凝真澄を語る上で避けて通れない書物が、「天地茁貫之極典」です。
「天地茁貫之極典」とは、「てんちはえぬきのきょくてん」と読みます。大本教の機関紙「神霊界」にも掲載されていますので、言霊を語る皆様は
ご存じでしょう。これが大本に影響を与えます。1898年に無名時代の上田喜三郎こと後の出口王仁三郎に大石凝は言霊学を授けています。
それが後にメジャー団体になる大本教の教勢拡大とともにオカルト界に浸透していきます。大石凝の神学では、日本の発祥は琵琶湖であり、伊弉諾大神が禊したのが琵琶湖周辺であるとか、人間の祖先は「剣膚」であったなどといいう奇説を出します。
大本教は、これを恐竜の鱗だと解釈して人類の祖先は恐竜であったと説いています(笑)。大石凝は琵琶湖は人類発祥の地だとして、湖面に霊的文字水茎文字が浮かぶと、信じていたようですが、1915年5月14日に大本教の出口らはこの水茎文字を実際に見たと話はじめます。
スピリチュアルの皆さんこれでも言霊なんぞ信じますか?「言霊学」は一部のオカルト連中の狭隘な思想がメジャーな宗教団体大本教の教義に盛り込まれ、まんまと広がったというのが現実のようです。こんな感じで言霊学を調べていくとどこまでもデンパな世界に突入していきます。《参考文献》
・「言霊信仰」 豊田邦生著 (八幡書店)
・「大石凝霊学全集第一巻」 大石凝真澄著 (八幡書店)
・「日本トンデモ人物伝」 原田実著 (文芸社)
・「トンデモ日本史の真相人物伝承編」 原田実著 (文芸社)
・「原田実の日本霊能史講座」 原田実著 (楽工社)
・「図説異端の宗教書」 久米昌文著 (新人物往来社)
“聖師は、私に親しくカタカナが正しい日本の文字であると教えられた。
聖師は大石凝翁とともに、水茎の岡山の上から琵琶湖の湖面にあらわれた水茎文字を読まれたが、高熊山で神さまから教えられた文字そのものであったのでスラスラ読めたと語られた。
この水茎文字で書かれたのが、聖師筆の神代文字ではなかろうかと考えられる。
聖師筆の神代文字で現在残っているものは、大本神の御神体と元の大八洲神社の石の門柱と月刊雑誌「神霊界」と「神の国」の題字である。
この形象は最も阿比留文字に近いものである。……”
(「大本教学 第十二号」 木庭次守『日本の神代文字』より)
(出口聖師が言われるには)“「水茎の岡山から天津祝詞を奏上すると、竜神が湖面に波頭を立てて神代文字を書くから読んでこい。
わからなかったらそれを写して書いて帰れ、わしが読んでやる」とのことでした。
さっそく、加藤明子さんと二人でたずねて行ってみたところ、……(中略)……加藤さんがここで天津祝詞を奏上されると、たしかに下の湖面にはスース―と波がしらが立ちます。
何のことかわからぬので、それを手帖に書きとめ、聖師さまに報告したのです。……”
(「おほもと」昭和49年10月号 大国美都雄『聖地の萩と大山』より)
“琵琶湖に出る水茎文字を水茎の岡山から見るのは彼岸の中日であって、神界から使命のある人でないと竜宮から見せられぬ。
王仁と大石凝先生が見たのであって、側にゐても見えないのである。
琵琶湖に見に行くのが大変だから後では、金竜海(綾部大本神苑内)を造って見てゐたのである。
一つの証拠に見るだけであって一度見たら十年か十五年は見る必要はないのである。
神代文字で自由に現われるから之の判らないものは出てゐてもわからないのである。(昭和十八年)”
“大自然に出る水茎文字がお筆先と同じであるから天地創造の神が、お筆先をかいてをられることを証明するものである。
大石凝先生はお筆先を知られないから之で見当をつけてゐたのである。
お筆先に現われるか、水茎文字に出るかの差である。(昭和十八年)”
(木庭次守編「出口王仁三郎玉言集 新月のかけ」より)
*ちなみに、出口聖師は、「神代文字はむやみに使ってはならぬ」と言っておられます。