• ついに「2023年」が到来しました!

RAPTさんの御言葉は、霊魂も肉体も救う「命綱」である。

4月の頭、明け方の祈りを終えて、自転車で職場へと向かいました。

そして職場に着いた時に、私の不注意により、自転車を転倒させてその下敷きになった左足の甲にヒビが入りました。

この足の怪我から2ヶ月が経ちました。

私は怪我をして間もなく、神様に「この出来事を通して神様を証できるようにしてほしい」とお祈りをしました。

その祈りから2ヶ月が経ち、その間に起こった事を振り返ると、
私がこれまでの信仰生活の中で、根本的に悟れていなかった事を悟らせるために裁きが計画されていたのだろう、と感じずにはいられません。

しかしその悟りが、私が神様に祈った「この出来事を通して神様を証できる」という願いを叶えてくれるものでした。

しかもそれは、これからさらに、世の人々が肉体的にも精神的にも裁きに遭い疲弊し絶望していくであろう中で、どのように乗り越えればいいのか、という答えがRAPTさんの伝えてくださる御言葉にあることを、世の人たちに実体験をわかりやすく証するために見せてくださったとも思いました。

この出来事を使って、神様は聖霊を通して、私にこれまでの御言葉をきちんと悟れるように本当にわかりやすく教えてくださったと思いました。

今日はその事を証したく記事にしました。


今回自分の身に起こった出来事を通して最も深く理解したこと。

それは、「御言葉は命綱」であるということです。

人は御言葉なしには生きていけません。

しかし聖書を知らない日本人はこれまで、御言葉がなくても生きてきました。

だから御言葉がなくても生きていけるという「間違った考え」の中で生きています。

しかしそれは真実ではありません。

御言葉は「命綱」です。

そしてその「命綱」を持ってくださっているのが「神様」です。

そして「命綱」を神様から受け取って人類に与えてくださっているのが「RAPTさん」です。

今日、新たな「命綱」→「有料記事」が宣布されましたが、有料記事の数だけでも「932」存在します。

つまり、932本の「命綱」が神様からRAPTさんを通して人類に与えられてきました。

さらにRAPTさんは神様からの啓示をほぼ毎日受けとってくださり、それを「朝の祈り会」として配信してくださっています。

それは2017年9月から今月で丸93ヶ月になります。

93ヶ月の間、お休みを除いて約20日で計算したとしても、93✖︎20
で1860本になります。

しかも当初はほぼ毎日宣布し続けてくださっていたので、これまで2000本以上の「御言葉」が伝えられたと言ってもいいのではないでしょうか。

これら全てが私たち人類が真理を知って学ぶことで救われて、本来の生き方ができるように導いてくださっているものなのです。

それは自己啓発やスピリチュアルなどのようなものとは全く違います。

「命綱」なのです。

目に見える肉体も、目に見えない霊体も、どちらも救い、希望と喜びと幸せの中で生きられるように導いてくださる「命綱」がRAPTさんが伝えてくださる神様の御言葉なのです。


日本人が神様への信仰を持てない理由の一つに、日本が経済中心となっているシステムとなっているからだと、以前宣布されました。

私自身も信仰前から、普通にフルタイムの会社員として働くと、自分が潰れてしまうと心底感じていたので、結婚によって生活を守ってもらえる「夫」という存在に依存できる環境に不安もあり、抜け出したいという思いと居座りたいという両方の思いがありました。

それで、RAPTブログに出会った時、信仰を理解できない主人との仲が疎遠になりましたが、それでも1年目は経済的に守られた中で信仰生活を送れました。

ちょうど1年が経った時に離婚が成立し、アパートで一人暮らしを始めることになりました。

信仰を守るために、フルタイムで働くという道だけはなんとか避けなければいけないと思っていました。

何よりも時間を確保することを最重要課題としてきました。

神様が憐れんでくださり、助けが入ることによってこれまで、フルタイムで働かなくても生活ができるようにしてくださってきました。

しかし一方で、世の中で働くことを捨てられない自分に罪悪感を感じ責めてしまったりすることもありました。

このような生活を続けている中、2022年9月に、日本に対する裁きの御言葉が宣布されました。

この時期を機に、明らかに流れが変わったと思いました。

自分の経済的な状況が追い込まれることが増えたのですが、その都度祈ることによって何度も窮地を救ってくださいました。

しかしそういう事を繰り返していくうちに、世の中で働く事を手放す、捨てるということについて麻痺してしまっていました。

自分ではそんなつもりではなくとも、世の中で働く事を前提として信仰生活を守るような、感覚に陥ってしまっていました。

それで昨年末から今年に入り、経済に関する問題が噴出するようになります。

以前、インスタグラムで証した通り、まず、当時通っていたアルバイト先が聖書の罪を犯す事を助ける事をやっていることがわかり、職場を離れました。

https://www.instagram.com/p/DEMartlyAkm/?igsh=MXZjZDdud3ltZWhjeA==

今年はじめに働き始めた職場から、途中からまともな金額の給与が支払われなくなりました。

こちらもインスタグラムで証した通りです。

https://www.instagram.com/p/DJeN93OyTxe/?igsh=NTgxeXkwYXU0c2dq

それでこれはやばいと思って、更なるアルバイト先を探して見つけた職場で働き始めた約一週間後に怪我をしました。

https://www.instagram.com/p/DIGSbSMyxHD/?igsh=MWFpaWVweGsxZ25sag==

さらに、この職場以外にも別の職場を見つけて掛け持ちで働く予定だったところにも行けなくなりました。

もし事務職であれば何の問題もなかったのですが、どちらの仕事も体を動かして働く職場なので、ゆっくりでも歩けるようになった、などという状態では職場復帰できず、完全に近い状態にまで治さないと行けない職場でした。

そして私は実家の父から勘当されているので、実家に戻って一緒に暮らすことはできません。

そのため、家賃が払えなくなると住む家を失う訳です。

それでしばらくは母が助けてくれていたのですが、これ以上は助けることは難しい状況にあると告げられました。

この状況はたまたまではなく、私が何か悔い改められていない事を悔い改めて変わるために起こっていると考えて、過去の御言葉を復習して少しつづ取り戻していきながらも、それでもまだ状況が改善されずにいました。

それで先日、決定的に自分が間違った認識を持っている、と気づかざるを得ない出来事が起こり、そこからさらに悔い改めていくうちに、今回お伝えしたい「御言葉は命綱」だという悟りに至りました。

つまり、御言葉が命綱である事を深く悟れていなかったのです。

私たちはこれまで、自分たちの人生を、労働によってお金を得て、生活を守ってきたと思い込んでいます。

確かに実際に、会社に行ったり起業したりして働いてお金を得て、そのお金を貯金したり、もしものために保険に入ったりなどして、生活を守ってきました。

しかし真実はそこにはないのです。

私は今回の出来事を通して、この考えが非真理だったと心底思い知りました。

私がこれまで生活を守れてきたのは、アルバイトして生活の糧を得てきたからではないことを悟りました。

御言葉に聞き従って生きようと努力してきたから、その状況を助け支えるために神様がありとあらゆる人や会社を使って、その状況を作り出してくださってきた事を悟りました。

しかし私は何年経っても、御言葉に従って生きる事で生活が守られるという事を本当の意味で悟りきれていなかったのです。

つまり、御言葉こそが命綱であるという事を。

そのことを完全に悟り切らず、心のどこか隅っこでは、信仰生活と世の中で働くという考えを両天秤に置いて考えていたのです。

でも真実は違うのです。

まず、人間が生きる「核」として、絶対的に御言葉がなければ
生きていけないのです。

例えば、大きな川に、細い「橋」のようなものを想像していただきたいのですが、御言葉に従うという状態は、「橋」の上をまっすぐに歩いているような状態です。

そしてその橋の先には、神様が人類が与えたいと願っておられる霊肉の祝福があります。

橋の上を歩いている間は、例え下に川があっても落ちることはありません。

ところが、ここから外れてしまうと「橋」から足を滑らせて転倒する恐れがあります。

すると橋から落ちて最悪の場合は川に流されて死んでしまいます。

落ちかけたと気づいた人は、橋にしがみついて落ちないように必死に戦いますが、橋の存在、つまり御言葉の存在を知らない人は、そもそも「川」の中にいるようなものです。

川の流れに逆らう事ができずに、どんなにそこから助かろうともがいても、その流れに飲みこまれてしまいます。

だから何を差し置いても、御言葉に従順に生きる事が、人間がまともに生きることができる「命綱」であって、私たちは「命綱」をもらっているから毎日を幸せに生きられるようにしてくださっているのです。

そして死んでから永遠に霊体だけで生きる時に、天国に行って神様を永遠に愛を成して生きられるように導き育ててくださっているのです。

御言葉に従うと決心するから、それに見合う状況が与えられるのです。

御言葉に従うか、仕事を続けるか、などというような考えではなく、御言葉が「命綱」なのだから、本質的には命綱でない、世の仕事を「両天秤」にかけるような考え方は、考え方として間違った捉え方をしている事を悟りました。

私たちは、「仕事」をしてお金を得ることが自分の命綱になっていると信じてきました。

確かにそういう風にも見えますが、しかしそれは嘘でした。間違った考えだったのです。

そうではないのです。

「御言葉」こそが本当の「命綱」だったのです。

「御言葉」こそが本当の「命綱」だったとはっきりと悟って、信仰を持ちながらこれまで、自分が御言葉の価値性を骨身に染みるまで深く悟れていなかった事を悔い改めました。

それで私が御言葉の価値性を本当に悟れていなかった事に気づくためにある出来事が起こり、二度とこのような状況を起こさないようにするにはどうすればいいのか悔い改めて祈っている中で、自分が御言葉に対して「不誠実」になっている心を表した現象を見つけました。

それでそれを改善するために悔い改めて行動を起こした途端、その日に状況が一変したのです!


それがあまりにも見事すぎて非常に分かりやすいものでしたので、証したいと思います。

悔い改めて行動を起こしたのは早朝でした。

そしてその後、ゴミを出しに外に出ました。

するといつもとは違う風景に遭遇しました。

実はここ最近、ずっとカラスの害に悩まされていて、ゴミを出しに行くと、必ずと言っていいほどカラスがゴミを撒き散らしていました。

そのため、ゴミを出しに行く時は掃除することを覚悟してホウキを持って行っていたのですが、この日のゴミ置き場は、今まで見たことがないくらいゴミ袋の数が少なくカラスに荒らされずに綺麗な状態だったのです。

さらに、車の通りがやや激しい通りで、朝の通勤時に、まず歩行者に気づいて止まってくれるという車は皆無に近い状況の中、この日は何度も車が止まってくれるという体験をしました。

さらにその後、近くの山に行ったら、そこに以前出会った人がいて、以前ちょっとしたことで諍いを起こしてしまった人がいたのですが、そんなことがまるでなかったかのように、お互いに心を開いて再会を喜びあうという事が起こりました。

さらにこの後、今回の怪我によって受けられる休業補償の事を正しく知ることができ、その事によって、経済的なダメージが思っていたよりも軽くで済みそうであることが分かりました。

また、この休業補償の書類申請について、悔い改めるまでは、遅々として進まなかったのが、悔い改めた途端、全てがタイミングよく運び出しました。

連絡したい人にすぐにスムーズに連絡が取れ、やるべき事がわかり、これまでノロノロにしか進まなかっただけに、その違いがはっきりと分かりました。

世の仕事でもお金でもなく人でもなく「御言葉」こそが私たちの生活の全てを守ってくれる「命綱」だったと、本当に心底骨身に沁みるくらいに悟りました。


私たちは御言葉がない状態で何十年も暮らしてきて、仕事をしたり、お金を貯めたり、もしものために保険に入ったりして自分の身を守っていると思ってきましたが、それは嘘です。

御言葉という命綱に捕まり、御言葉に従うことで、安全に「橋」の上を歩くことができるのです。

だからもし、過去にRAPTさんの御言葉に出会った人の中で、自分の今ある生活と御言葉に従うという事を「両天秤」にかけるという間違いを犯したことで離れてしまった人がいたならば、是非とも考え直していただけると幸いです。

御言葉こそが命綱なのです。

「命綱」につかまると決心して、努力を続けていれば、他のことは必ず神様が取り計らってくださいます。

これはおとぎ話でも夢物語でもなく、現実に起きることなのです。

今、日本は非常に厳しい裁く裁かれています。

そしてその裁きは、物価高騰や移民が増えるという肉的な裁きにとどまらず、何をやっても霊魂が癒やされず苦しみが取れないという裁きも加わり、さらに厳しさを増すであろうと宣布されています。

2025年5月10日(土)RAPT朝の祈り会
主はこれからますます厳しい裁きをこの世に下される。そのため、神様を信じず、御言葉に従わない者たちは、誰であれ霊肉ともに幸福を剥奪され、この世でまともに生きていけなくなるだろう。(堕落した人は常に他人を嫉妬して生き、堕落から回復した人は他人を嫉妬することもなく、むしろ他人の救いのために生きていく。)

025年5月25日(日)RAPT朝の祈り会
神様の御言葉はすべて必ずその通りになるし、実際に神様の預言通りに日本に対する裁きも進行している。にもかかわらず、未だに悔い改めず、御言葉に聞き従わない人が余りに多いので、神様の裁きはますます厳しくなっていくしかない。(神様の歴史がどんなに継続したとしても、御言葉に従わない者は誰でも裁かれる。)

しかしそれは、人々が中心者である「RAPTさん」が宣布されている御言葉こそが本物で、この御言葉に聞き従うという本来の人類が歩むべき正しい道に導くため、つまり人類を救うために起こされていることだと教えてくださっています。

2025年5月27日(火)RAPT朝の祈り会
日本人が福音を受け入れる霊的土台はもう既に作られたと主は仰った。人々がいくら宗教に偏見を持っていたとしても、それ以上に彼らの多くが幸運を待ち望んでいる。一人一人が使命意識を持って、彼らに福音という幸運を伝えてあげなさい。

RAPTさんの御言葉を受け入れない人たちは、例えるなら永遠に川の流れに飲み込まれ続け苦しまなければいけませんが、御言葉の価値性を受け入れて、御言葉に従うと決心して生きる人たちは、神様が「命綱」を与えて苦しみの川から助け出してくださいます。

いかがでしょうか。

私たちはものすごいものを「RAPTさん」を通していただいているのです。

それは神様が人類を救いたいと切に願っておられるからなのです。

そして神様は、RAPTさんの御言葉がどこまでも価値がある事を理解できる可能性のある全ての人たちに伝わって、人々が神様に立ち返る事をどこまでも切に願っておられます。

そして信仰を持つことによって、人類にとっての「命の源」が「RAPTさんの御言葉」にある事をお伝えできる事に、心から喜びと幸せを感じています。

一人でも多くの人が神様に立ち返り救われます事を心からお祈り申し上げます。

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