しかし、終わりの時には困難な時期が来ることを悟りなさい。 そのとき、人々は自分自身を愛し、金銭を愛し、ほらを吹き、高慢になり、神をあざけり、両親に従わず、恩を知らず、神を畏れなくなります。 また、情けを知らず、和解せず、中傷し、節度がなく、残忍になり、善を好まず、 人を裏切り、軽率になり、思い上がり、神よりも快楽を愛し、 信心を装いながら、その実、信心の力を否定するようになります。こういう人々を避けなさい。 彼らの中には、他人の家に入り込み、愚かな女どもをたぶらかしている者がいるのです。彼女たちは罪に満ち、さまざまの情欲に駆り立てられており、 いつも学んでいながら、決して真理の認識に達することができません。
テモテへの手紙二 3:1-7 新共同訳
スピリチュアル系、自己啓発では、「自分を愛しなさい」「自分を大切にしなさい」「自分の機嫌を取りなさい」「いい気分でいなさい」「自分を褒めてあげよう」などと言いますが、そのような生き方を続けているとどんどんわがままになり、自分勝手になってしまいます。
私が信仰を持つ前、スピリチュアルにハマっていた時は、世の中では不公平や不条理が多すぎるし、また自分の身に起きた不幸な出来事からどのように立ち直ればいいのか分からなかったけれど、自分を責めてばかりだと、苦しくなるだけだから、まずは「自分を愛し、自分を大切にして、自分の機嫌を取り、いい気分でいよう」という考えを積極的に取り入れていたと今振り返るとそう思います。
それで快楽や享楽を求めることによって、一時的には苦痛が取り除かれるので、命を断つ「自殺」という方向に行かないようにしよう、としていたのかなと思います。
だから今、エックスやスレッドなどで、スピ系や自己啓発系の教えを拡散している人たちが、本当は真に救われていなくて未だに苦しんでいることがわかります。
実際、信仰を持つ前、スピや自己啓発の教えで素敵だと思った考えをブログで拡散なども書いていました。(今は削除しています)
しかしスピや自己啓発の教えには限界があることはずっと感じてきました。
だけど、人生に絶望を持ち続ける苦しみ、また出来事によって起きた苦しみではなく、心の奥底に根本的に存在していた心の苦しみを取り除く方法を拡散したいと願ってきました。
だからRAPTブログに出会って、信仰を持つようになって、正しいキリスト教の教えが、今まで自分が苦しんできた全てを解決してくれると知った(まずは知識で)時は本当に衝撃でした。
まさか「聖書」にそんな力があったなんて、本当に驚きました。
しかし、RAPTブログに出会う少し前に、「池上彰」の番組で(当時は、池上彰が中国共産党のスパイだったなど知る由もありませんでしたが)世界で最も読まれている書籍は「聖書」ですと言っていたのを聞いて以来、「聖書」に対する印象が少しだけ変わっていたので、それほど抵抗なく受け入れることができました。
そして何より、RAPT理論を通して、「輪廻転生」がないことを知って、個人的に苦しんでいた問題が解決したので、このような答えを導いて下さる方と、RAPT理論を生み出した「RAPTさん」は繋がっておられるのだから、RAPTさんが教えてくださる神様の教えをとことん学びたいと思いました。
そして、「聖書」の封印を解く使命を受けてそれを成された「RAPTさん」によって宣布される御言葉を学ぶようになって、そして実際に聖書を読んだり、「聖書アプリ」で聴くようになって、もし自分が早いうちから聖書の教えを知っていたら、自分の人生を振り返った時に悩んでいた数十年という時間を、悩まずに済んでいたことを悟り、愕然としました。
何がショックって言えば、自分が生まれた時はすでに、その「聖書」が存在してたにも関わらず、聖書の教えに触れるチャンスがなかったということです。
それは、宗教は危ないとか、キリスト教はただ堅苦しく質素倹約をしなければいけないとか、キリスト教に対して間違った認識感を持っていたから、そこには手を出してはいけない、とブレーキをかけていたからです。
本当に愚かだったと心底思います。
しかし実際、RAPTさんを通して教わる「キリスト教」があまりにも素晴らしく、堅苦しいと思っていたキリスト教を学べば学ぶほど、それは誤解だとはっきりとわかりました。
例えばRAPTさんが作られた音楽を聴いた時は、正直どう表現していいかわからないけれど、素晴らしい音楽だと思いました。
(現在、こちらのサイトからyouTubeページを直接貼り付けるとエラーになるため、上のRAPTブログのyouTubeページに行き、「古い順」で検索すると一番始めにでてきますので是非とも訪ねてみてください。)
ピアノの曲だったのですが、どう表現していいかわからないというのは、おかしな話と思われるかもしれませんが、それでも「今まで聞いたことがない音楽」だと感じました。
ピアノ曲はこれまでたくさん聴いている筈なのに、どうして今まで聞いたことがないと感じたのか、不思議と思われるかもしれませんが、学んでいくうちに、RAPTさんは神様に向けて音楽を作っておられる(神様を賛美し証するために音楽を作っておられる)からだと知りました。
そして信仰生活の中で行う大切なものの一つに、神様に感謝を捧げ称賛を歌で表現する「賛美」がありますが、これを知って実践するようになって、完全に「キリスト教」ほど素晴らしい教えはないと確信しました。
信仰生活を行うことで、神様が下さる恵みや祝福は本当に他のものに変えがたく、素晴らしいので、もっとそれを得たくなりました。
そして、こんな素晴らしいものに対して、未だに間違った認識を持っている人たちや、この素晴らしさをまだ知らない人たちに是非とも知ってもらいたいのです。
さて、先ほど、RAPTさんの御言葉を学び、聖書を読み聞いていくうちに、もしもこの教えをもっと早くから知っていれば、数十年も悩みを抱える必要がなかった、と投稿しましたが、そのことについてもう少し詳しくお話ししたいと思います。
というのも、自分が数十年も悩みを抱えてきた根本的な原因は、「聖書」で定められている「罪」を慢性的に犯してきたからということを知ったからです。
今となってはどこまでも恥ずかしく思いますが正直に書くと、「異性の罪」「姦淫の罪」という、現代社会では警察に捕まり処刑されることはありませんが、まずこれらの罪が、「旧約聖書」では「死罪」にあたることを私は全く知りませんでした。
人の妻と姦淫する者、すなわち隣人の妻と姦淫する者は姦淫した男も女も共に必ず死刑に処せられる。
レビ記 20:10 新共同訳
『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ。
マルコによる福音書 10:19 新共同訳
更に、次のように言われた。「人から出て来るものこそ、人を汚す。 中から、つまり人間の心から、悪い思いが出て来るからである。みだらな行い、盗み、殺意、 姦淫、貪欲、悪意、詐欺、好色、ねたみ、悪口、傲慢、無分別など、 これらの悪はみな中から出て来て、人を汚すのである。
マルコによる福音書 7:20-23 新共同訳
RAPT有料記事118(2016年11月7日)異性の罪について、または主に使われる祝福について。
「死罪」にあたるほど大きな罪だったという認識を自分が持っていない無知に本当に情けなく思いました。
それが「新約聖書」の時代になり、遊女だった「マグダラのマリア」が悔い改めて神様に立ち返り罪を許されて救われたことが書かれてありますが、「スピ系の教え」の中で、これら一連の話を聞いたことが全くありませんでした。
イエスはオリーブ山へ行かれた。 朝早く、再び神殿の境内に入られると、民衆が皆、御自分のところにやって来たので、座って教え始められた。 そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、 イエスに言った。「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。 こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」 イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。 しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」 そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。 これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。 イエスは、身を起こして言われた。「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか。」 女が、「主よ、だれも」と言うと、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。
ヨハネによる福音書 8:1-11 新共同訳
さらに驚いたのが、聖書の中で「霊媒」が厳しく禁じられていたことです。
彼は自分の子に火の中を通らせ、占いやまじないを行い、口寄せや霊媒を用いるなど、主の目に悪とされることを数々行って主の怒りを招いた。
列王記下 21:6 新共同訳
スピ系、またカルト宗教でも「チャネリング」という「霊媒」師だらけといいますか、そういう人たちが教祖になったり、「◯◯の教え」などと言って本を出したりネットで情報を発信しているわけです。
さらに、イエス様のことについて語らない霊は「偽物」だと書かれてあるじゃないですか。
愛する者たち、どの霊も信じるのではなく、神から出た霊かどうかを確かめなさい。偽預言者が大勢世に出て来ているからです。 イエス・キリストが肉となって来られたということを公に言い表す霊は、すべて神から出たものです。このことによって、あなたがたは神の霊が分かります。 イエスのことを公に言い表さない霊はすべて、神から出ていません。これは、反キリストの霊です。かねてあなたがたは、その霊がやって来ると聞いていましたが、今や既に世に来ています。
ヨハネの手紙一 4:1-3 新共同訳
私は、「エスター・ヒックス」という女性がチャネリングした「エイブラハム」という霊的な集団の教えの本をよく読んでいたのですが、イエス様が肉となって来られたことを公に言い表すことは一切ありませんでした。
そして先ほど引用した聖句にも書かれてある通り「占い」も厳しく禁じられています。
私は、スピ系や自己啓発の教えを学ぶだけでなく、「算命学」という中国から伝わる占星術にハマった時期があります。
もう何から何まで、聖書の教えにずっと逆らい続けてきていたのです。
その結果、どんなに答えや真実を求めて努力したとしても、答えに辿り着くことはありませんでした。
答えに辿り着くことができないだけでなく、同時に、快楽や享楽を求め、自分を大切にするという考えばかりを求めていたために、どこまでも堕落し我儘で自分勝手な状態に陥ってしまっていました。
当時は、どうして自分の人生がここまで苦しいのか分かりませんでしたが、RAPTさんの御言葉を学んで、信仰生活を送っていくうちに、「聖書の掟に反した生き方をしていた報い」だったことがはっきりと理解できました。
だからこそ、このRAPTブログに出会えた事、RAPTさんを通して神様の教えを学べることが心底ありがたいことだと思っています。
さらには、このRAPTさんが伝える御言葉は、旧約聖書、新約聖書で書かれてあることの封印が解かれた、完全な御言葉であることを知りました。
つまり、これまでの聖書は、読んでも全ての意味が理解できないように、あえて「比喩」表現を用いて書かれていたのだそうですが、今伝えてくださっているRAPTさんの御言葉は、その封印を全て解き、神様が伝えたかった真意はこういうことだ、と詳しく分かりやすく教えていただくことができるようになったのです。
これは人類史上初めてのことで、そんなすごい教えを得られる時代に、自分がたまたま生まれていることがどれほど恵まれていることなのかと思いました。
これだけの罪を犯し、信仰前の自分を一言で振り返ると「化け物」のような考えを持ち、行いをしていた自分に、こうしてRAPTブログに出会わせてくださって、真理の御言葉に出会わせてくださったことが、本当にどれだけ感謝しても感謝し尽くせません。
さらには、これから生まれる全ての人たちには、「RAPTさんの御言葉」に出会うチャンスが与えられていますが、今RAPTさんがご存命の時代に、共に生かさせていただけていることがありがたいのと同時に、一人でも多くの人がこの幸福、祝福に預かって欲しいという思いが膨らみます。
現在、日本はまだまだ神様の御言葉を受け入れる人が少ないために、引き続き厳しく裁かれています。
これまでRAPTさんは、悪魔崇拝者が世を牛耳っている現実を「RAPT理論」という形で拡散してくださってきました。
しかし現在の裁きは、その悪人どもの力が強大なために起こっているのではなく、実際に悪人の力は、RAPTさんを始めとする神様を信じる私たち信仰者(義人)の祈りと情報拡散によって確実に弱くなっているのですが、日本人がいまだにRAPTさんの御言葉に聞き従わない、神様に立ち返ろうとしないために、神様が「悪人」を使って裁きをなされているのだと宣布されました。
2025年11月3日(月)RAPT 朝の祈り会
私たち義人が義の条件を立てれば立てた分、サタンや悪人よりも強い力を持つようになり、逆にサタンや悪人は力を失って滅んでいく。だから、どんなにサタンや悪人に攻撃されて辛い目に遭っても、最後まで諦めずに悪の滅びを祈りつづけなさい。
朝の祈り会、および有料記事のパスワードのご購入はこちらから
つまり、日本への裁きが少しでも緩和されるかどうかというのは、神様に立ち返る人がどれだけ増えるかにかかっているということです。
神様に立ち返る人が増えて、その人たちが神様の御言葉に聞き従い、悪人の滅びを祈るなら、立ち返った人の人生が一変するだけでなく、今まで以上に「善の法則」が働くようになり、悪の力がさらに弱くなり、裁きの内容によれば、一人だけでも神様に立ち返る人が増えれば、その裁きが止むこともあると教えてくださっています。
RAPT有料記事129(2016年12月17日)この世に働く悪の法則と善の法則。
RAPT有料記事952(2025年8月18日)私たち義人が伝道して、多くの人々が救われていくなら、この世に対する裁きも軽減される。