昨日、エックスでこんな投稿を見かけました。
私も信仰を持つ前、これらの言葉を呪文のように唱えて、自分を洗脳しようと試みましたが、結局、うまく行かず失敗しました。
それでRAPTブログを知り、RAPTさんから正しいキリスト教の教えを学ぶことで、スピリチュアルは、本当に巧妙に語られた偽物だということがはっきり分かりました。
それで信仰を持ち始めた当初、スピリチュアル好きな人が、RAPTブログを知ったら、ほぼ100%受け入れるのではないか?と密かに思っていたくらい、これこそスピ好きが求めている答え!が見つかったと喜びました。
しかしその考えは甘かったことをその後、嫌というほど思い知ることとなりました。
それで、RAPTさんから御言葉を学び続けることによって、「スピ系」という偽物と「RAPTさんの御言葉」という本物は何が違うのかを伝えたいと強く思いました。
一人でも多くの未だにスピ系や自己啓発などで救いを求めている人たちが、「本物」の教えを知り、神様に立ち返り、救われることを願わずにはいられません。
そこで先ほどのエックスのポストに戻るのですが、そこには「ありがとう」「ついてる」「大丈夫なんとかなる」「嬉しい、楽しい、幸せ」「私は運がいい」「チャンス」「わくわく」と書かれてありました。
どの言葉も希望をもてて、心が明るくなるような言葉ばかりですよね。
でも、これらの考えだと「不完全」で、「真理」とは言えず、「偽物」だと言わざるを得ません。
それってどういうことなのでしょうか。
スピ系が好きな人からすれば、こんな素晴らしく、心を軽くする言葉が並んでいるのに、これのどこか偽物なのだ、と思われるかもしれません。
しかし、実は、これらの言葉(「ありがとう」「ついてる」「大丈夫なんとかなる」「嬉しい、楽しい、幸せ」「私は運がいい」「チャンス」「わくわく」)と語る上で、「神様」がおられる、「神様」が守ってくださる、などという「真理」の考えを加えると、たちまち「これらの言葉」は真実を伝えることになるのです。
「ありがとう」というのは、「神様」がおられること、神様が守ってくださっていること、そしてさらに、RAPTさんが御言葉で教えてくださった「真理」を学び、神様の考え、神様の心情を学ぶことで、「ありがとう」という言葉はどこまでもパワーを持ち、もっと強く深く「ありがとう」と伝えたくなります。
「ありがとう」というのは、「神様」がおられること、「神様」が常に守ってくださっていること、「神様」は人類を愛をなしたくて作られたこと、さらに、この他にもRAPTさんが御言葉で教えてくださった「真理」の数々を学び、神様の考え、神様の心情を学ぶことで、「ありがとう」という言葉はどこまでもパワーを持ち、もっと強く深く「ありがとう」と伝えたくなります。
神様に対してどこまでも「ありがとう」を伝えたくなるのです。
それが「賛美」であり、信仰生活を送る上で、非常に大切な「信仰の4本の柱」の一つとなります。
「大丈夫なんとかなる」というのは、神様が御言葉で何度も「心配するな」とおっしゃいます。
それは、「神様」がおられ、神様がどこまでも私たちを愛してくださり、天地万物を創造され人類を創造された神様の力を信じて、祈ることは全て叶えられ、さらにはRAPTさんの御言葉を通して約束してくださったことは全て実現すると信じて祈りを捧げることで、神様は問題を解決へと導いてくださるからです。
「嬉しい、楽しい、幸せ」というのは、呪文のように唱えて自分を洗脳しなくても、「神様」が御言葉の中で、やりなさいとおっしゃることを行い、神様の御言葉の掟を守ることで、その生活そのものが、嬉しくて、楽しく、幸せを感じることができます。
ただしこれは決して「楽」だという意味ではありません。
私自身、スピリチュアルを追いかけ続けきましたが、今「RAPTブログ」を通じて信仰生活を送らせていただくことによってつくづく思うのは、幸せになるのは、「楽」になることでも、「楽」を追求することでもない、ということです。
スピリチュアル界隈では、こう耳障りのいい言葉を追い求めて、優しい言葉ばかり追い求める傾向が強いです。
「幸せ」なるために神様が御言葉の中でやりなさいとおっしゃることの中には厳しいと感じるものもあります。
しかしそれ以上に、信仰生活を行うと、神様がおられ、神様が守ってくださっていて、御言葉通りに行うことで、祝福や恵みをくださるので、それを感じることがどこまでも嬉しくて幸せを感じます。
それは、「スピの考え」では絶対に味わうことができないものです。
「私は運がいい」「ついてる」ですが、実は今の時代に日本人として生きていることは、「運がいい」「ついてる」などという言葉では表現し尽くせない「奇跡」と「祝福」を与えられています。
それは、中心者が立てられた時代に共に生きていること、そして中心者RAPTさんによって、「完全に知りたいことは全て知ることができるほど封印が解かれた神様の教え(御言葉)」が与えられていることです。
さらに、その御言葉が、母国語である「日本語」で学べることです。
この御言葉は、スピ系や自己啓発とは違い、私たちにある「霊体」と「肉体」の両方を救ってくださる御言葉なのです。
私たちは自分たちに「霊体」があることを知らずに生きてきました。
「霊体」は肉体が亡くなった後、霊界で永遠に生きることになるのですが、RAPTさんの御言葉を学んで、成長することで、その霊体は永遠の天国に入ることができ、天国で永遠に幸せに暮らすことができるようになります。
しかしこれまでは、どうすれば天国に行くことができるのか、つまり「霊体」が完全に救われるにはどうすればいいのか、ということが完全には解明されていなかったのですが、RAPTさんが初めてそのことを可能にしてくださったのです。
運がいい、とか、ついてる、などで到底表現ができないほどの限りない「祝福」で与えられている時代が、今のなのです。
確かにそれは「狭き門」ではありますが、このようにとんでもない幸運が与えられる「チャンス」が与えられているのが今なのです。
そして、RAPTさんの御言葉を学び実践すればするほど、喜びと希望に満ちて生きられるので、毎日を「ワクワク」して生きることが可能となるのです。
つまり、「神様」がおられるという「真理」を受け入れて、「神様」が喜ばれるように生きることで、これら全ての言葉通りの生き方ができるようになるのです。
どうしてスピ系がいい言葉を自分で洗脳しないといけないのか、というと、「真理」つまり「御言葉」がないからです。
神様の教え、つまり「御言葉」ではなく、自分たちによって「心地いい」「気分がいい」考えや行いによって、人生を成功へと導こうとするので、人間の力で留まってしまいます。
さらに、自分たちによって「心地よく」「気分がいい」考えというのは、自己中心で自分勝手な考えもあります。
スピ系を信じていた時に疑問だったのが、スピリチュアルにハマっていけば行くほど、自己中で傲慢な考えになってしまうのはどうしてか、ということでした。
さらに、スピ系では、「自分の中に神がいる」とか、真我がある、とか、光がある、など、ともかく自分の内側を見ることを勧めますが、それも嘘だったことを知りました。
こういう考えは全て、私たち人類は神様から作られた存在だから、神様がおっしゃる通りに生きることによってどこまでも光り輝き、ひいてはそれが「神様の栄光」を現すことになることを隠したかった「悪魔崇拝者」が「サタン」から知恵を受けて作った、偽物に過ぎないのです。
さらに気づいたことがあります。
それは、スピを追いかけていた時、私自身「光」を求めていたのだと思います。
それは、どんなに苦しくても人生詰んだと思っていても、人生を生きる意味がわからず苦しいと思っていても、それでも「命を輝かせて生きたい」とわずかながらも希望を持って生きていたかったのだと思います。
ただ、その「光」というのが、どういうものか自分でも分かりませんでした。
ともかく、冒頭でご紹介したような「耳障りのいい言葉」に縋りながら、「絶望」と「希望」を行き来しながら生きてきました。
そして「光」というものを、ただ漠然と「エネルギー」として捉えている面もあって、「創造主」というのは、「ソースエネルギー」なのだ、とスピの教えに洗脳されるがままに思っていました。
だけど「真実」はそうではなかったのです。
真実は突然、「RAPTブログ」を通してやってきたのです。
そして「光」の正体は、「真の神様」であり、その神様が与えてくださった「完全な御言葉」だったのです。
初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。 この言は、初めに神と共にあった。 万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。 言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。 光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。 ヨハネによる福音書 1:1-5 新共同訳
神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。 彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。 彼は光ではなく、光について証しをするために来た。 その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。 ヨハネによる福音書 1:6-9 新共同訳
「光」というのはつまり「神様」のことであり「神様の御言葉」のことだったのです。
しかしスピ系の人たちは、「光」というのを単に「光」とか「エネルギー」など、概念的というか抽象的なイメージで思い込まされているので、「聖書の神様」や「神様の御言葉」と言われても、洗脳が深いので、それこそが本当は自分たちが追い求めているものだとは気づけないのではと思いました。
さらに、スピリチュアルでは、与えることが大事だということも習いますが、スピが存在する真の目的は、人々が真理に目覚めさせないようにするためなので、「耳障りのいい言葉」を並べて、何もしなくても大丈夫だよ、とか、無理をしてはいけないよ、とか、あなたは生きているだけで価値がある、などと、結果的に不幸のどん底に突き落としてしまうような考えで洗脳するのです。
「光」を求めるということは、「真の神様」を求めて「神様の御言葉」を求めるということになり、それは「神様が喜ばれるように生きる」につながり、それには努力やもがきが必要なのです。
そのことによって、神様から豊かに祝福や恵みを受けられるのです。
世の中では、無条件の愛が素晴らしいことであるかのように言われますが、神様は、どちらかだけが一方的に愛する関係性は持続しないとおっしゃいます。
神様が人類を作られた目的は「人類と愛を成す」ためです。
神様はすでにどれほど人類を愛しておられておられるのかをRAPTさんを通して伝え続けてくださっていますので、あとは人類が神様に喜ばれるように愛せるように努力を続けることで、私たちは創造目的通りに生きることができるのです。
スピ系の人たちは、与えられる愛の喜びだけを追求しようとしてしまいます。
これはスピ系だけでなく、世の中全体がそうなっています。
私たちは自分たちの欲求を追求して満たしていけば幸せになれると洗脳されてきましたが、それは嘘だったことが次々と明らかになっています。
私たちは神様の御言葉に従って生きることが最も幸せに生きる人生を歩めるのです!
イエスは言われた。「わたしの食べ物とは、わたしをお遣わしになった方の御心を行い、その業を成し遂げることである。 ヨハネによる福音書 4:34 新共同訳
RAPTさんは現在、ネット環境を使って御言葉を配信してくださっているため、世界中のどこにいても学ぶことができます。
これから翻訳機能がもっと発達すれば、色んな言語で読まれることでしょう。
しかし! 今、この瞬間、母国語でこの御言葉を読むことができるのは、私たち日本人だけなのです。
そしてRAPTさんが宣布してくださる「完全な御言葉」通りに生きることによって、私たちは完全に神様と繋がって生きることができるようになったのです!
2025年11月4日(火)RAPT 朝の祈り会
神様はアダムとエバのときに成し得なかった主の歴史を再び始めるために、6000年をかけてアダムの代わりとなる中心人物を立てられた。後は中心者についていく義人たちが御言葉に従うことで、これからの1000年をかけて着実に主の歴史が成されていくだろう。
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スピ系の偽物の「光」を捨て、神様の御言葉という本物の「光」を知り、神様に立ち返り救われる人達が一人でも増えますことを切にお祈り申し上げます。