今年も11月11日の祝祭の日を無事に迎える事ができました。
その事について、インスタグラムにも投稿させていただきました。
さらに投稿しようとしたのですが、文章量が多くなったので、こちらのブログで投稿する事にしました。
ここに記すのはその続きです。
なのでまずは上記のインスタグラムを読んでいただけると理解が深まると思います。
なお、今回の記事は、すでに信仰を持っておられる方向けに書いているので、RAPTさんの事や、信仰について
ご存知ない方にはわかりにくいかも知れません。
ここで私が書いている信仰について知りたいと思ってくださった方は、RAPTブログか、RAPTさんの元で働いておられる「十ニ弟子」の方々の証を読まれる事をおすすめします。
私は、自分の人生の中でもっとも叶えたいと思っていた事は、「歌手」になる事でした。
小さい頃から強く願っていましたが同時に、それを素直に打ち明けるのがとても恥ずかしいと感じていました。
なぜなら歌手になるというのは、競争が激しいだけでなく非常に限られた人にしか与えられなくて、しかも相当歌が上手くないといけないからと思っていました。
歌唱力というのは天性のものだと思っていました。
もし私がNANAさんの歌唱力を持っていたら、3秒で歌手を目指すことを決めましたが(本当にそう思ったと思います)、そんなに上手くない自分にはどうせ無理だから、言うのはやめておこうと思っていました。
しかし間違いなくずっと一番なりたかったのは「歌手」でした。
どうしても諦めきれなくて、社会人になってから、歌の教室に通ったこともありました。
しかししっくりこなくて結局半年で辞めてしまいました。
歌への思いは捨てきれなかったとしても、いつの間にか歌手になりたいとか、むしろそういう事はもうどうでもよくなっていました。
年々、歌いたいと言う歌に出会えなくなったと言うのもあります。
それが2019年12月、信仰を持ち始めた事で「賛美歌」と言うものに出会いました。
それを聞いた時に、こういう歌を小さい頃から学校で歌いたかったと号泣しました。
そして、聖書を読み始めてまず一番はじめに知ったのは、音楽は神様を賛美するためにあるという事でした。
そしてyouTubeのRAPTさんの音楽を聞いて、今まで聞いた事がないと本当に驚きました。
さらにNANAさんの賛美歌を聞いて、こんなに声が澄んでいて、しかもどこまでも声が安定しておられる声に出会った事がないと感動し、それ以来毎日欠かさず賛美を捧げてきました。
信仰を持って2年目までは、賛美をする事にだけ集中して、歌を極めるとかそういう事は考えないようにしていました。
聖霊を感じる事以外に恵みや祝福と感じる事の一つのバロメーターとして、声が出るようになると言うのがあって、声が出るようになったら喜んでくださっているのかな、と思って意識を向けていました。
それが、3年目くらいからは、賛美を通して文化芸術を成すと言う事を少しづつ意識し始めるようになりました。
しかしそれでもどこか現実的ではない気がしていました。
というのも一度実は、世の人の前で、賛美歌を披露する機会を作っていただいた事があって、その時に、まだまだ実力も能力もない事をはっきりと悟っていたからです。
しかし、賛美のすばらしさを証して広める事ならできると思って、そういう風に自分を使ってもらいたい、とも思っていました。
今回の祝祭の日に神様から賛美の事で改善点を指摘されたと感じたのには理由があります。
これは11日の夜、振り返った時に気づいた事なのですが、書かせていただきます。
今年に入って、ただ賛美歌を捧げるという取り組みに限界を感じるようになっていました。
そして、祈る時に「賛美」に関する事を祈る時はいつも心が軽くなるのですが、「賛美を極めたい」と祈った時に、尋常ではないくらいに心が晴れやかに明るく軽くなるのです。
例えるなら、1階にいた人が、いきなり10階に飛び上がるような感じです。
それまでサタンの攻撃に苦しんでいたとしても、この祈りを捧げた瞬間、サタンの攻撃をすり抜けて、一気に上に上がる感覚がするのです。
今年に入り、明らかにこの祈りを捧げた時の感じが違うので、いよいよ「賛美」を一つの義の条件として捉えるのではなく、「天の文化、芸術を成す」と言う次元で取り組みなさいと言う事なのかと思いました。
それで、こう言う方向で取り組めばいいのかな、と思って始めた事がありました。
それが今年の6月の話です。
ところが、それをやるとまず、サタンの妨害が来るようになって、そうでなくてもサタンは賛美歌を非常に
嫌いますが、これまで以上に妨害されるようになり、しかもそれだけでなく、何か義務感でやっている
ような感じになりあまり恵みを受けられないのです。
「賛美」をするのは喜びでしかありませんが、やはり天の文化芸術として行う事は神様は許諾されていないのではと思い、しばらくして従来通りの賛美だけを捧げるようになりました。
その約1ヶ月後、(それは8月の事なのですが)以前インスタグラムでも証した、まともに寝れず、苦しくなって部屋にまともにいられない、水が飲めないと言う状態に陥りました。
そしてこれまで経済的にもなんとか助けをもらえたのが、その月は経済的にも非常に追い込まれると言う事態になりました。
それで今住んでいる家を離れて、実家に戻らないといけない状況になるかも知れないと思ったのです。
それはどうしても避けなければいけないと思っていたので助けて欲しいと必死に祈って、またその時に実家の母にも、(母は信仰は持っていませんが)私が信仰を続けたいので、とにかく経済的に問題なく過ごしながら私が聖書の神様を信仰する事を続けられるように祈って欲しいとお願いしました。
その後、なんとか実家に帰らずに済みましたが、今でも経済的な問題が尽きず、仕事を探す事にばかり気を取られるような状態です。
もちろん賛美をしない日は1日もありません。
しかしそれは、これまで通りの賛美の捧げ方を続けました。
それが、ここ数週間ほどの間に、神様に賛美歌を義の条件として捧げる時もやはり歌唱力が上がった方がいい、と言う考えが浮かび、発音できる幅を広げたいと思い、英語の賛美歌を練習するようになりました。
NANAさんが歌ってくださった賛美歌の原曲だけでなく、他の方の英語の歌詞も聞いて歌うようにしました。
すると、賛美歌のなかには、英語の歌詞の方が、ストレートに理解できるものもあり、日本語訳とはまた違った感動や悟りを与えてくれました。
例えば、I STAND IN AWE OF YOU (日本語訳 驚き仰ぎ見る)は、直訳すると、「あなた(神様)に畏敬の念を抱く。」なんですが、本当にそうだなと。
さらに外国の人は日本と違ってキリスト教が普通にある文化で育っている人たちなので、日本人の自分と感覚の違いがとても勉強になると感じる事もありました。
そしてこれから海外宣教を始めると宣布されていますが、こうやって新約聖書の賛美歌をアップしている人たちが、成約時代のRAPTさんの御言葉に出会って行くのだろうなと思うと、素晴らしいと思う反面、自分ももっと頑張りたいと思いました。
そして真面目に信仰を守っている人は、早く成約の御言葉に出会いたいと思っておられるだろうなと。
だから早くこの人たちに届けばいいなと思っていました。
そして改めて賛美歌というものが、どれも本当に美しいと改めて感じました。
そして先日、NANAさんが賛美歌に関する証の中で、天の文化芸術とはどんな音楽なのか、たくさん祈って構想を受けられたという事が書かれてあったので、私もその祈りを捧げました。
その数日後にある海外の方が作ったアカペラで賛美歌をアップしたyouTube動画を視聴しました。
そのあまりにものハーモニーの美しさに、私もこんな音楽ができるようになりたいと強く思いました。
その方の動画に非常に衝撃を受けたのです。
そして「賛美歌」というのは、まだまだ可能性の宝庫で、私が知らない音楽がまだまだごまんとある事、そして海外では、思っているよりもたくさんの賛美歌を歌うアーティストいる事を知りました。
そこで思ったのです。
神様は、どうして今、祝祭の日の直前になって、この動画を見せてくださったのか?と。
神様が許諾されない事は起こらないと御言葉で教わっているのでどういう事だろうか、と考えた時に、
こういう音楽を行う事をひょっとして許諾してくださっているのではと思ったのです。
それはそれは尋常でないほど驚きました。
自分にこんな音楽ができるようになったら、どんなに幸せだろうかと。
それこそ、もう嬉しすぎて幸せになりすぎて飛び跳ねすぎてそのまま魂はあの世に行ってしまうんじゃないかと。
今の実力や能力からはほど遠い事は明らかですが、自分が賛美を通して天の文化芸術を成して神様を証するという事を許諾してくださっているのではと考えた時に、神様のとてつもない深い愛に非常に驚いたのです。
そして神様の栄光を表したい、天の音楽がどう言うものかを証できる実力と能力を得たいと。
このような事が祝祭の日直前に起こり、そして祝祭の日当日を迎えました。
一番心に上がってくる思いが「決心しなさい」と言う事でした。
もっと次元を上げなさいと。
賛美して恵みを受けて喜ぶだけという、お花畑思考で止まっている自分の心にメスを入れてくださったのだと思いました。
もっと次元を上げるには、そういう観念だけの信仰生活を完全に辞めなければいけません。
現在、賛美以外に、個性才能を伸ばす取りくみとして、動画を作る事もやっているのですが、
賛美歌を個性才能を伸ばすために取り組むとなると、まだまだ捨てなければいけない非真理の思いがあります。
それこそを徹底的に捨てなさいと。
これを神様が私に伝え続けてくださったのだと思いました。
だからこの日の賛美は、いつもと少し違いました。
歌っていると涙が出るのですが、その涙はただただ感動して涙が出るというよりは、今までの弱い心や生ぬるい心を戒められて、叱咤激励を受けて、もっと頑張りなさい、と励まされたことによる涙でした。
天の文化芸術を成すという事を考えて歌に命懸けで取り組みなさい、と言われているようでした。
そして11日の夜に振り返った時に、8月に起こったあの発作のような苦しみの理由を悟りました。
そして経済的にも追い込まれた理由もわかりました。
私は離婚して以来ずっと、未だに世の仕事から抜け出せない自分に対して、神様に24時間捧げられないから、申し訳ないという思いや自分の不甲斐なさ、実力のなさを感じてきました。
もちろん、世の仕事から抜け出せるように努力するのは必要なのですが、しかし、神様が私に本当にわかって欲しかったのはそこではなかった事を悟りました。
今すぐ、全ての世の仕事を辞められない状況に神様が怒っておられるのではなく、
本当にやらなければいけない事に正しく努力できるようにもがきが足りないからだと悟りました。
すぐにその道で食べてないからだめだから、と言うことではなく、そこに向かって決心して正しく努力していない事に対して裁かれたのだと悟りました。
もちろん、賛美をしなかった日は1日もありません。
動画を作ったり、NANAさんの紹介ページを作ったりもしました。
その時は恵みを感じて取り組みました。
賛美をおろそかにしたつもりはありません。
しかし、それは神様の望む次元ということではなかったと言うことです。
そして実家に戻るという事は、これまで賛美をしてきた大切な場所、すぐ近くにある小さな山に行けなくなるという事です。
実家の周りには山のような緑がありませんから、今いるところは、賛美を練習し捧げるのに本当に適したありがたい場所にあります。
ところが気がつけば、怠惰な心のせいで、山に行くよりも家で条件を立てる事の方が多くなっていました。
今振り返ると、祈りもおろそかになっていると神様は感じておられるのだと思いました。
そんな信仰生活を続けるならば山を奪う、と神様は伝えたかったのだと悟りました。
自分が考えていた事と、神様が感じておられる事が全く違い、神様が見ていらっしゃる次元はどこまでも高いのだと改めて感じました。
そして今回の裁きは、私を一段でも二段でも次元を上げて成長し、御心を成して、幸せになるためだという事をはっきりと悟りました。
歌手になりたいと願いながら、とても現実的ではないと諦めていたところに、賛美歌という、真実の歌を教えていただき、幸せにしていただけただけでなく、
今度は直接「賛美歌」を提供する側になれるようにもがく機会を与えていただけるとは!
考えるだけで涙が出ます。まるで夢のようです。
こんな私が、本当に賛美を極めるために命懸けで走るという事をさせていただくという事は、私からすれば、崖から飛び降りるような心境です。
それでようやく、RAPTさんがこれまで御言葉でおっしゃっていた24時間すがって祈って、構想をいただいて、命懸けで走るの意味を理解できたのです。
どこまでも心と思いと精神を尽くして神様を一途に愛するという意味を。
もちろん、これまでも頭では理解していましたが、こういう事なのかと。
そして同時に、あの「You Raise me up」の歌詞の意味が理解できました。
それが神様の御心である限りは、そしてその求める動機が、自分の成功のためではなく神様を証して、神様の栄光を現すためであれば、神様は私が思う以上に手を差し伸べて助けて支えてくださる。
実力も能力もありませんので、実力と能力をいただけるようにすがって祈って、手取り足取り、一つづつ教えていただかねればいけません。
構想をいただけるように祈って、どういう練習をすればもっと上手くなり、安定して声が出るようになるのか祈って、賛美を極めることで、神様を証し、神様の栄光を現せる者となれるように祈る。
そしてもっと耳が良くなるように祈る。
いろんな繊細な音を正しく聞き取り、それを声として正しく出せるように祈る。
どういう練習をすればいいのか、誰か指導者についてもらった方がいいのか、それも祈る。毎日祈る。
私にとって歌を極めるという行いは、それこそ24時間神様に張りついて、縋らずにはいられません。
そしてそれは、偽善的な信仰でもなんでもなく、賛美を極めたいから、神様の栄光を表したいから行うことです。だから聖書の罪も犯さないように守れるように努力して、明け方だって、たくさん疎通して構想を受けられるように祈る。
どうかNANAさんのように神様を証しできるような歌声が出るように導いてください。
何年かかってもそのような歌声が出るように育ててください。
聖霊を感じる歌声にしてください。
NANAさんのように人々を救いに導けるような賛美歌歌手となれますように。