• ついに「2023年」が到来しました!

祝祭の日について

2021.11.12にアップした記事をそのままご紹介しています。   【神様の証】2021.11.11 祝祭の日    毎年、11月11日は、中心者RAPTさんが、神様と出逢われた事、その事で信者である私達が、神様を知り、神様の御言葉に出会い、救われた事に感謝する日として、神様が定めてくださった特別な一日です。 RAPT有料記事221(2017年11月4日)主に出会って救われたことを愛と感謝でお祝いしなさい。〈11月11日の主の祝祭についての御言葉〉 RAPT有料記事326(2018年11月10日)主が示される真の成功哲学。または、11月11日の主の祝祭についての御言葉。 (2019年、2020年、2021年に宣布されたものは、「朝の祈り会」の中に収録されています。詳しくは こちら から)   私は2019年12月13日にRAPT理論に出会い、その月に初めて有利記事を通して、神様の御言葉を知りました。 よって、この祝祭の日を迎えるのが昨日で2回目になります。 昨日起こった事を忘れないために、記事として残しておこうと思います。 ちなみに、昨年の様子は、Instagramに投稿しています。           この投稿をInstagramで見る                       真実の玉手箱(@tamatebako1213)がシェアした投稿             この投稿をInstagramで見る                       真実の玉手箱(@tamatebako1213)がシェアした投稿 昨日の祝祭の日は、一言でいうと、昨年初めて迎えた時より、霊的な祝福を受けたと感じる一日でした。 そして、怠惰のために信仰を持つ前には出来なかった事ができるようになった事に喜ぶ場面と、引き続き残る自分の罪や問題点や課題が炙り出された一日でした。 さらに、今させていただいている、情報拡散について、この世を創価学会が支配しているという新たな証拠を見せてもらう事ができました。   私は、信仰生活というものを、R A P Tブログに出会った事をキッカケにして、行う事になったので、他の方々が信仰生活にどのような印象を持たれているのか分かりませんが、 自分が信仰生活を送らせていただく中で思うのは、想像していたものを遥かに超えて、やればやった分だけたくさん頂けるという事です。 特にこの「祝祭の日」では、その事を強く感じました。 今回、この「やればやっただけ」という部分を、もう少し細かく具体的に証したいと思います。   例えば、ただ「祈る」という行為の中にも、実は様々な意味がある事を、神様の御言葉を通してRAPTさんがとても丁寧に教えてくださり、毎日、すこしでも教えてくださる基準でできるように行おうともがきます。 そして、その「行い」の中で、その「行い」をやる事によって、何等かの結果が出るという喜びも多々ありますが、今回、一番恵みを受けた、と感じるのは、その行いを行う「瞬間瞬間」が、とても恵みが深く、生きているという充実感を感じる、という事を教えていただけた事です。   私は「サタン」が作った「スピリチュアル」に浸かり、どこまでも人生を壊してきましたが、そんな事、普通に生きていて、体験したことがありませんでした。 神様の御言葉は、厳しいものもたくさんありますが、教えてくださった通りに行おうと、もがく事で、それらがすべて「神様の愛」から来ている事を悟ります。 このような事を、今の人生で体験できるなどとは、思ってもいなかったので、本当に幸せで有難く思っています。 そして、神様が聖書に、第一の掟として、「心と思いと精神を尽くして主を愛しなさい」と定めておられますが、それは、片時も、神様から意識を離さないように、神様を第一に愛する事が、私達人間にとって、最も幸せな生き方だからなのだ、という事を、改めて深く悟りました。   しかし、冒頭でも触れました通り、同時に、自分がまだできていない部分や、「罪」が、洗いざらいあぶり出される場面もありました。 悟りを得て、恵みを感じた、と感謝と幸せに浸ると、その後、必ず、心に「隙」ができます。 そうすると気分が大きくなり、すぐに油断して、神様以外のものに目を向けてしまいます。 この癖が本当に酷い事が露わになりました。 どんな時も、変わらず、心と思いと精神を尽くして神様を愛する事の重要性を、昨日、「車の運転」を通じて教えてくださいました。   私は車は持っていません。 昨日は「祝祭の日」をお祝いするために、実家から車を借りて、ドライブしました。 信仰を持つ前は怖いと思って、一度も乗ったことがなかった「高速道路」を使って、出かけました。 信仰を持ってから、高速道路で運転するのはこれで2回目です。   運転手には、目的地があって運転しますが、途中で寄り道をすると、そこに到着できないわけです。 信仰も同じで、正しい目的に向かって進んでいる時は、確実に進みますが、止まったり、寄り道をすると、目的地にたどり着く事はできません。 だから、恵みや悟りを得て、うまく進んでいるのかな、と満足して油断をしてしまうと、別の道に進むことになります。 その途端、方向性を失ってしまい、混乱が起き、問題が起きる、という事が、昨日も起こりました。 ほんの数十分まではうまく進んでいると感じていたのに、という事態が起きました。 その間は、車の運転と同じで、前には進まず、むしろ「後退」しているような状態です。 こういう事が、日々の生活でも起こっている事を、昨日の「祝祭の日」を通して、はっきり見せていただきました。 こういう時に「自分の弱点」や「欠点」があぶり出され、これをうやむやにしてしまうと、いつまでたっても前に進んで成長していく事ができないのだ、と悟りました。   しかし、こうして「自分の弱点」「欠点」が分かり、改善できるように神様に悔い改めて、縋り祈ろうとする生活は、本当に有難い事です。   度々このブログでも書かせていただいているのですが、私は、30年近く、自己啓発やスピリチュアルの情報に触れて、自分を成長させていきたい、と思って生きてきました。 しかし、現実は、とんでもなく「ドツボ」にはまり、どんどん「サタン的な人格だけ」を身に着けるような結果となりました。 そのため、今、RAPTさんを通じて教わる「神様の御言葉」がどれほど素晴らしいのかを、感じずにはいられません。   自分の弱点や欠点を治そうと努力した事がある人は分かると思うのですが、それには相当なエネルギーと決心が必要で、いつも、自分の弱さゆえに挫折してしまうのが常です。 しかし、信仰を持ち、「神様の御言葉」通りに生きようともがき、そして、神様にどこまでも縋って頼って祈り生きることによって、(罪が大きいという人間側の都合により、すぐに変われないので)少しづつではあるのですが、自分の弱点や欠点を治そうとする「力」をいただけます。 そして、「神様の御言葉」という正しい真理を教われる訳です。 …