あれは、20年前の事だったと思います。
当時、ご縁があり、片思いだった「男性」と、横浜に出かけた時の事です。
ものすごく喜びの波長が来て、今こうして存在していることが喜びで、その波長を感じることが喜びで、この波長以外には何もいらないと思える位、感動したことがありました。
その時、この「男性」と一緒にいなくても、一人でいても、この感覚を常に感じられるようになりたいと願いました。
しかし当時は、この「喜びの波長」の正体が、私には何なのか、分かりませんでした。
しかし、この「喜びの波長」を感じている間は、どんなにつらい事があろうとも、そんなものはすぐに吹っ飛ぶ感じがしました。
それは、この「喜びの波長」があまりにも強く、それでいて、この波長は、妄想でもイメージでもなく、「現実」として存在している、という感覚があったからです。
「ある」という感覚があったからです。
これは私が、東京で、船井幸雄の会社に勤めていて、狂った生活をしていた時に同時に起こった出来事です。神様の証 2020/6/4
この「感覚」は、異性との関係で得られるものではない、というのははっきり分かりました。しかし、当時は、この男性と会っていると、得られる感覚だったので、この男性と縁が続く限り、この感覚が得られると思っていました。
そして、狂った生活をしていたにも関わらず、この「感覚」の中にいる時は、世の中で起こっている事や自分の生活で起こっていることの苦しみから解放されて、この「感覚」さえあればいい、と感じることができました。
こう書くと、現実逃避でまるで「麻薬」の効果みたいに思われるかもしれません。私は麻薬をしたことがないので分かりませんが、堕落的なものではなく、完全な「喜び」の中でいられて、その感覚にいる時だけは、自分がどんどんまともな人間になっていくような感覚がありました。
現実逃避ではなく、むしろ生きる事にちゃんと向き合おうとしてくれるような感覚でした。
おそらく、麻薬や覚せい剤で得られる感覚とは、真逆の方向のものだと思います。
しかし、当時その「感覚」の正体が分からなかった。それが「神様」からくるものだとはわからなかった。
そして、船井の会社を離れ、東京を離れたと同時に、その男性との縁も完全に切れました。
その後、実家に帰り、船井のところで起こった出来事への深い疑問と絶望、そして何とか命だけは助かった安堵と、そして、何より、あの「感覚」の正体が何だったのか、そしてそこから離れてしまった、というショックで、頭が混乱していました。
そしてその混乱は、RAPT理論に出会うまで、十数年続きました。
この十数年の間に、あの「感覚」に非常に似た感覚を、一人でいた時に感じた事がありました。しかし、それを持続的に感じる方法を知らず、スピリチュアルでそれを探そうとしましたが見つかりませんでしたので、時がたつにつれて、どんどん忘れていきました。
それが、RAPT理論に出会い、御言葉に出会い、信仰生活を行う事で、段階的に救われていきました。
まず、RAPT理論で、「生まれ変わりは存在しない」という事を教わりました。そのことで、船井のところで聞かされていた、「ムーの最後の王の息子の生まれ変わり」だとか、船井の一番初めの妻は、早々に死んでいたわけですが、その彼女に似ている、などと言われていた事が、全部嘘だと分かりました。
生まれ変わりは存在しない、と、論理的に教えてくださったのは、RAPTさんただおひとりです。世の中のスピリチュアルや霊界についての情報は皆、「生まれ変わり」をいう事を言ってきます。そのために、スピリチュアルにはまっていた私は、ここを覆すものを見つける事ができなかったのです。
ということで、船井が言ってきたことは全部「嘘」だという事が分かりました。そこでまず目が覚めました。
さらに「悪魔崇拝」という真実を知り、船井のところに行ったのは、「悪魔」の関与があった事を悟りました。そして、悪魔に対して、どう自分を守り、どう戦っていくのか、とRAPTブログや、御言葉で教えてくださっているので、それを実践することで、だんだんと洗脳から抜け出すことができました。
さらに、「スピリチュアル」がまったくのでたらめで嘘で、悪魔思想だったことを知り、スピリチュアルで知った考えを捨てて、御言葉に従うことによって、スピリチュアルの縁で知り合った主人と離婚することになりました。
つまり、RAPT理論を学び、RAPTさんが宣布してくださる御言葉に従う事によって、「サタン」によって、支配されていた私の生活が、どんどん変化していきました。私の周りを覆っていた「サタン」の支配からどんどん抜け出すことができるようになりました。
そんな中、今年に入り、12弟子の「エリカ」さんが、有料記事や、RAPTさんのInstagramで、RAPTさんと共に、ご自身に起こった霊界に関する出来事を証してくださる動画を見ているうちに、船井のところで起こった不可解な事の答えが見つかり、さらに救われました。神様の証 2021/3/5
つまり、RAPT理論を学び、御言葉に従えば従うほど、少しづつ清められていったことによって、悟りを得て、救われていったのだと思います。
そして、先月、朝の祈り会で宣布された動画を見ていて、エリカさんが受けられたものを聞いていて、そこで、冒頭にご紹介した、20年前に感じた「喜びの波長」について思い出したのです。
エリカさんが話されていたものが、自分が20年前に受けた時に感じた感想と、すごく似ていたのです。
もちろん、私が受けたものより、エリカさんが受けられたものの方が、次元が高いものであることは明らかです。
しかし、エリカさんがおっしゃっていた事と、自分が「喜びの波長」について感じていたことが、本当に似ていたのです。
信仰生活を始めた時に、今まで得た全てを捨てて、1から御言葉に従おうと思って取り組んできました。と言いますか、信仰を始めた当時は、20年前に受けた喜びの波長の事は、忘れていました。
信仰を始めた当時、一度爆発的な聖霊を受けて、その後、3か月経った位の時に、RAPTさんが栄えられるようにお祈りした時に、神様から爆発的な聖霊を受けて、神様がいかに、RAPTさんを深く愛しておられるかを悟った事がありました。神様の証 2020/3/10
しかしその時は、20年前に受けた「喜びの波長」の事は忘れていました。20年前に受けたものに対する真理を持っていなかったので、その時は結びつかなったのです。
あの「喜びの波長」を与えてくださったのは、神様だったんだ。
当時は、スピリチュアルにはまっていたために、「大いなる存在」だとか、「サムシンググレート」などと言う話を聞いていたために、「神様」という考えには到底至りませんでした。
だけど、何か偉大な存在が与えてくださった、という事は思っていて、どうすればあの感覚を持続的に感じることができるのかを知りたいと思って探しましたが、見つかりませんでした。
それが、RAPTさんを知り、御言葉から、神様がどういう方かということ、そして、神様は「人間への愛」を、聖霊を降り注がれることによって現わされる、という事を教わりました。
よってまずは、「知識」として、神様を学びました。そして、RAPTさんが封印を解いてくださったおかげで読めるようになった「聖書」を読み、神様の歴史と悪魔崇拝者の戦いについて知り、また、「真理」を学びました。
そして、エリカさんのお話を聞いた事によって、御言葉で学んで得られるように、神様が導いてくださったものとは、あの「20年前の喜びの感覚」だったことに気づいたのです。
サタンは、船井のところで起こった出来事を思い出そうとすると、ものすごく妨害してきます。今でもそうです。初めは、サタンが行った悪事がバレたくないからだろう、と思っていましたが、それだけでなく、20年前の喜びの感覚を思い出してほしくない、御言葉を聞いて従うのは、あの「愛」を得るためだという事を、私が悟ることを必死に妨害したかったのだろうと思いました。
御言葉の実践と、あの「愛」がリンクすることを妨害したかったのだろうと思いました。
しかし、本物の愛は、どんなものよりも優っているのだと悟りました。
エリカさんがお話してくださったおかげで、エリカさんからその「本物の愛の波長」を感じることによって、共鳴して思い出すことができたのだと思います。
御言葉の中で、人々のところに聖霊が降り注がれるように祈りなさい、というのがありますが、聖霊を受けることによって御言葉を受け入れやすくなり、神様を受け入れる人が増えるのと同じ原理なのだと思いました。
さらに、そのエリカさんの動画を見て、この事に気づいたのは、新宿にいた時でした。よって、聖地となった「新宿」の地の波長を受けながら見た、という事も思い出せた要因の一つだと思いました。
あの「愛の感覚」が、誰かと一緒にいなくても、得られる。
そしてその正体は、「本当の神様」からのもので、得続けるには、神様を愛し続ける。
その為に、御言葉にどこまでも従順に従う。
私が一度は、「愛の感覚」を受けたにも関わらず、その後、そこから離れてしまったのは、「真理」を全く知らず、悪魔教であるスピリチュアルを信じ、罪を犯し続けてきたからです。
だから「真理」を知らないことが、どれほど恐ろしい事か、という事を悟りました。
もし私が、未だ、RAPT理論に出会っていなくて、御言葉にも出会わず、このまま人生を終えることになっていたら、永遠に「真理」を知る事なく、永遠に、サタンに苦しめられて生きる事になっていたわけです。
今この事を思い出して、あの「愛の感覚」でいられるように過ごすようにしています。そして、今まで学んできた御言葉の知識や知恵とリンクできるように取り組んでいます。ともすると、「行い」という部分を忘れがちになるからです。
もう本当にこの「愛」の感覚があれば、何もいらないと思います。理屈ではなく、本当にそう思うんです。
再び、あの「愛」の感覚を感じて、生きることができるようになれるなんて、想像もしていませんでした。本当にすごい時代に生きているのだとつくづく思います。
今まではどこか、御言葉を「義務的」にとらえている部分もありました。
しかしあの「愛」の感覚を感じ、そしてそれが「神様との愛の疎通」するために与えてくささっていた事が分かったので、「愛」がもっと強まるために、御言葉に従っていきたいと思います。
そして、もっと悔い改めて清くなって、「神様の愛」をたくさんの人達に、証できるものとなりたいです。
今後、御言葉に対するとらえ方を変化させてから、どのように変わっていったのか、また、その後の様子を証できればと思います。