昨日、十二弟子のMINAさんがあげてくだった「神様の証」は、今の私にとって、非常にありがたく、今抱えている問題を解決するためのきっかけをくださるものでした。
心から感謝します。
仕事に行き詰まった私に、RAPTさんが「神様の仕事は愛で行うことで上手くいく」と教えて下さり、全ての問題が解決した体験(十二弟子・ミナさんの証)https://t.co/FF4IxKKwrI
— RAPT理論+α (@Rapt_plusalpha) June 22, 2022
まずは今現在、抱えている状況をご紹介します。
このブログでもご紹介した通り、現在国の「職業訓練校」に通いながら信仰を守っています。
そこで今、色々な問題に直面しています。
まず、授業の内容がだんだんと難しくなり、復習したり、定期的にあるテストのために勉強する事で、物理的に信仰に使える時間が減るという事。
そのため、睡眠時間を削りながらやるも、明け方をちゃんと守れない日が続く事。
確かにこれは想定内でした。
この問題は起こる事はある程度予想していました。
だから対処できると思っていました。
しかし実はもう一つ、私の考えが甘く、想定していない問題が起こりました。
それは、「異性の罪」を起こさせるようにサタンが動いている事です。
「異性の罪」は、神様が最も厳しく「罪」として定めておられるものです。
〇RAPT有料記事VOL.118 異性の罪について、または主に使われる祝福について。
私の中に、「異性の罪」を起こさせるために起こる心(異性によりどころを求めようとする心)がまだ残っているから、そこをサタンが徹底的につついてくるのです。
以前の御言葉でも、「サタンは常に徹底的に攻撃してくる」という話がありました。
2022年5月30日(月)
否定的な考えがなかなか取れないときは、サタンがあなたの中に入って、あなたの思考を強引に操っていると考え、祈りでサタンを追い出し、滅ぼしなさい。自分が愚かだから、なかなか考えが変えられないのだと思って自分を責めてはいけない。RAPT | RAPT朝の祈り会(2022年5月分) (rapt-neo.com)
今の私はまさにそのような状態だと気づきました。
信仰に集中する時間が削られるだけだと、何とか対処できると思っていたのですが、まさか、異性に気持ちを持っていかれるような状況になるとは。
信仰を持ち、離婚した当時は、世の中に出た時に最もこの状況が来ることを恐れていました。
当時の自分だと、どう対処していいか不安に思う所もあったので、回避できるように必死に祈っていました。
しかし、今年に入り、去年より確実に信仰を守りやすいと感じていた事もあり、学校に通う事について懸念される事について、異性の事がすっぽり抜けてしまっていました。
経済の事や、信仰の時間の事、そして国の制度を使う事はいけない事なのだろうか、などということばかり祈っていました。
そのため、「異性」についてしっかり祈る事なく、学校に通い始めてしまいました。
問題に気づき、この状況を解決するため何日も祈りました。
すると、ある日、異性に対する思いが取り除かれている事に気づきました。
しかし、安心していると、またしてもサタンがその部分をつついてきます。
どうしてサタンが、と断定できるのかというと、
「サタンやイルミナティの攻撃に打ち勝つための抜け道が見つかりますように」と祈ると、苦しい思いが軽くなるからです。
そして、証を書いている時は苦しい気持ちがなくなるからです。
しかし、少しでもこの考え(神様の考え)と違う考えを抱くと、また苦しくなって、異性に意識を向けさせるように仕向けるのです。
RAPTさんが練達を受けられた時に、命がけで信仰を守った話を、いくつも御言葉の中で聞かせていただきましたが、一瞬でも神様から意識を放すとサタンは攻撃にくるので、今回学校に通って、命がけで信仰を守るのは、こういう事なのかと、また新たに悟りました。
あまりにも辛すぎて、今目の前に神様が現れてくださらないかな、と真剣に思う事もありました。
よって、授業の時以外は、物理的に教室から離れた方がいいと思うようになりました。
そんな中、この学校には喫煙者だけが使っている屋上があるのですが、休み時間はそこに避難しようと思いました。
実際行ってみると、街を一望できるとても素敵な場所だと分かりました。
そしたらここで賛美ができるじゃないか!と、救われた思いがしました。
そこで頻繁に屋上に通うようになりました。
すると屋上を利用している人の中に、私が歌っている事を知っている人がいたのです。
私は基本的にどこででも歌うのですが、学校に入る前に、近くの道端で歌っていたのですね。
それを見られていたのです。
そしてその事が、他の人にも知れ渡るようになり、別の日に、別の人にも別の場所で歌っていたのを聞かれていた事が分かり、クラスの人や先生など、ほとんどの人に、賛美を歌っている事が露わになりました。
今や賛美していないと霊的に自分が死んでしまうのではないかと思う位、賛美なしでは生きていけない状態です。
学校内では、祈る事もしますが、今の段階では祈れなくなるように妨害される事も多く、賛美した方が恵みを受けます。
という事で、何とか信仰を守る事が最大の目的となってしまい、授業で得た技術を、ブログやHP制作に活かす、という段階には、程遠くなってしまっている状況です。
実は「プログラミング」の授業の中で、自分でHPを創って、自由に発信する事を許されていて、これは願ってもいない事だった!と、喜んでいたのですが、その制作も思うように進める事ができずにいました。
もうこれは学校を辞めた方がいいのかとも考えていて、今祈っている最中です。
もちろん、学校に行かなくても他の方法でも技術は学ぶ事はできます。
基本的な知識さえ分かっていれば、その後の勉強の仕方が分かるので、問題ありません。
自分がやりたいことに対してどうすればいいのか、と調べて習得できるまでやればいいのです。
私が「職業訓練校」という構想を祈っている時に受けて、それに従ったのは、いくら独学で学んでも全く理解できないくらい、実力がなかったからです。
なので、自分で調べて理解できるレベルにまで到達したくて通っています。
しかし、今の段階ではまだそんな次元にはいません。
だから私の気持ちとしては、もう少し通いたいと思っています。
しかし、昨日のMINAさんの証を読み、最も根本的な部分を疎かにしていた事を悟りました。
神様に対する愛だけで行うという、最も大事な部分を忘れ、業務的にこなそうとしてしまっている事に気づきました。
神様に対する愛で、技術を学ぼうと思っていたつもりが、どんどんズレて行っていた事を悟りました。
このタイミングで、MINAさんがこのような証を書いてくださった事に心から感謝します。
何度も読んで神様にしがみついて、この問題を解決して、神様をもっと証できるものとなりたいです。
神様に喜ばれるものを生み出せるものとなりたいです。
休み時間に屋上に行けるというのは、室内ではマスクを強要されている事からも解放され、「逃げ場」を与えられているなと思います。
そしてコンピュータについて学べば学ぶほど、イルミナティとしては、神様を徹底的に隠すために、サタンにとって都合のいい世界を作るために開発したのだな、と思う節が次々と見つかります。
この事もちゃんと証したいです。
写真は昨日の夕方、賛美していた時の空です。