久しぶりにブログ投稿します。
最近の出来事をご紹介したいと思います。
私は2年前に数ヶ月ほど「京都」に頻繁に行って歩き祈りをしていたことがあります。
祈り歩きとは、その言葉通り、歩きながら祈ることです。
毎回、「今日はどこで歩き祈りをすればいいですか」と聖書の神様に祈りながら場所を決めて行くのですが、なぜか京都ばかり行きたくなるので導き通り行っていました。
その後たまに行く程度だったのですが、ここ数ヶ月ほどまた、京都に行きたくなりました。
きっかけは、エプスタイン文書が公開されたことです。
エプスタイン文書の公開により、「悪魔崇拝」が事実だったことが誰の目にも明らかになったのです。
もう陰謀論などと言っている人はただただ恥をかく事態となっているのです。
そしてエプスタイン文書の中に載っていた「伊藤穰一」がちょくちょく京都を訪れていることを知りました。
それをきっかけに、もっと京都の街を見たい、隠されてきたものを知りたいと思うようになりました。
それで一度は訪れたけれど、気になるところを再度訪れることにしました。
ある日、京都御所周辺に行った時のことです。
京都御所周辺のある寺が気になり、その周辺を歩いた数日後のことです。
最近知り合ったある20代の男性と話をしていたら、なんと!その彼が、私が数日前に歩いた場所の目と鼻の先が実家だったというのです。
これには本当に驚きました。
しかも御所とも関わりが深い家だったようで、またさらに驚きです。
その後、紆余曲折がありながら、なんとか彼に「RAPT理論」の一部と「RAPTブログ」のアドレスを伝えることができたのですが、その後、彼と「京都御所周辺」の宗教施設について話す機会を得たのですね。
その時に思ったことが今日のブログの内容となります。
物心がついてから京都に住んでいる人だけあって、神社や寺がたくさんあることは当たり前のように受け入れていたようなのですが、やはり洗脳が深いと言いますか、京都の人にとって、「悪魔崇拝儀式」(「悪魔」崇拝だという認識はない)が生活の一部として浸透しているのだなと感じました。
京都に住んでいない私からすればちょっと感覚が麻痺していると感じて、それが恐ろしいとも感じました。
これはあくまで、私が抱いた印象ではありますが、悪魔崇拝について「生贄」にしているとか、子供を食べているという話をしても、自分の生活とかけ離れているから驚きのあまりなんとも言えないという感じではなく、心のどこかでそういうこともあるだろう、って受け入れているじゃないの?と思いたくなるような感じだったのです。
これは「鬼滅の刃」を始めとするアニメの影響も少なからずあるのではと思いました。
以前、御言葉で、人間は自分が自覚しようとしまいと常に霊的な影響を受けるという話をされていましたが、「京都御所周辺」という異様な数の宗教施設(しかも全て悪魔教)に囲まれているという霊的には最悪な場所で育つことや悪影響を受けなくするための方法を知らないことがどれだけ恐ろしいのかと実感しました。
しかしながら、数年前までは、まさか京都市内、しかも京都御所にほど近い場所に住んでいた人にRAPT理論を伝えることができるなど、想像もしていませんでした。
私がこれまで抱いてきた京都のイメージは、京都というブランドでガチガチに固まっていて、よそ者は一切近づけないような印象でした。
信仰を持つ前はそれが魅力的に映っていましたが、実際は、ただただ「悪魔崇拝のメッカ」に過ぎなかったことを知りました。
しかし神様が中心者RAPTさんを立ててくださって、神様がRAPTさんと共にし、御言葉を伝え続けてくださり、霊界を清めてくださった結果、真実を伝えることができるようになっているのだと強く感じました。
さらに昨年の11月に「女性の基準者」も正式に立てられたことによって、神様がこの地に働く力が無限となり、新たなアダムとエバの歴史が本格的に始まったため、ますますサタンの力が弱体化し滅びに向かっている証でもあるのだと感じました。
京都は今や、中国人による侵略や外国人観光客で溢れかえり、日本人の転出が目立つ事態となっていますが、そのことで「悪魔崇拝」でガチガチだった京都の秩序がどんどん壊れていっていると感じます。
街を歩いていても、すれ違うのは外国人ばかりですし、中国人観光客が減った代わりに、白人だけでなくヒジャブを巻いている人を見かけるようになりました。
一方で日本独自の文化や因習を守りにくくなることで、確実に悪魔崇拝の因習も廃れる一方です。
そしてここ最近は、神社仏閣が火事に遭ったという話をよく聞きます。
これも「善の法則」によって、「悪魔崇拝」という「悪」が確実に滅んでいることを示す現象ではないかと思いました。
寺や神社を日本人の心の拠り所だとXで投稿している人もいますが、「悪魔の教え」を心の拠り所にして本当の幸せに辿り着ける訳がありません。
今、こうして中心者RAPTさんがおられる時代に生まれることができて、RAPT理論を学び、聖書の神様の教え(御言葉)を学ぶことができる環境を与えられていることがどこまでも喜びだと感じます。
そして今回の出来事を通じて、これは決して私一人の力や努力だけで、信仰生活を送れているわけではないことをはっきりと理解しました。
どう考えても、聖三位をはじめ、天使天軍(天の諸霊)が導いてくださっているおかげで、信仰を守ることができていることを理解しました。
聖書の神様への信仰を与えてくださり、完全な真理の御言葉から学び信仰生活ができることに感謝し、これからもより一層熱心に励みたいと思いました。