私は、コロナ茶番がはじまる直前の「2019年12月」から信仰を持ち始めて、そのちょうど1年後、離婚しました。
確かに大変な事もあります。
特に専業主婦として生きてきたので、経済的な打撃は相当大きいです。
そして今でもそれが完璧に100%解決したわけではありません。
しかし、そんな私でも、本当に有難いことに喜びと希望を感じながら、幸せに暮らす事ができています。
今日は、今の私を支える「信仰生活」について、ご紹介したいと思います。
私は、「RAPT理論」を説かれた「RAPT」さんが伝えてくださる「御言葉」「有料記事」を通して、「真の神様」を知り、そこから「クリスチャン」として、信仰生活をさせていただいています。
信仰をもつことによって得た喜び、驚きはたくさんありますが、
信仰を持ちはじめた時に、一番衝撃的だったのは、「賛美」でした。
「神様に感謝し、歌を通して褒めたたえる」という考え方に、非常に衝撃を受けました。
私は歌が大好きでした。
小さい頃は、自分の人生に「音楽」がある事は最も自然な事だと思っていました。
そのため、テレビの歌番組は夢中になってみていました。
しかし、だんだんとそれらでは喜びを感じなくなり、疑問を感じるようになりました。
確かに歌を歌うのは楽しくて希望をもらえるのですが、何かどこかで虚しさや限界のようなものを感じていました。
そして、現実的に、私は歌が好きなだけで、技術的、能力的にとびぬけた才能があるわけではないので、歌を歌う事で、生計を立てていくという事は、現実的には不可能だと知りました。
大人になり、本当は歌いたいのに、歌いたいと思う歌もなく、歌で生きる道もないのであれば、歌が好きだった事すらも、封印していきました。
だから、歌以外で、自分を生かす道はないのだろうか、と探し続けてきました。
信仰を持つようになってまず驚いたのは、「聖書」を読む中で、歌や音楽というのは、「神様を称えるためにある」ものだと知ったことです。
ところが、私が親しんできた音楽というのは、芸能界が作り出す音楽で、特に、一番好きになった歌手が「桑田佳祐」でした。
そして、彼が作り出す音楽は、『RAPT理論』によって、最も神様が忌み嫌われる、性的堕落を促す音楽である事が分かりました。
上級国民である桑田佳祐は、僧侶の代わりに「悪魔教」を広める歌手だった
これは、めちゃくちゃショックで、本当に悪い事をしていたのだと思いました。
そこで、サザンの真実、桑田の真実を、『RAPT理論』を元に詳しく調べて、それらをブログ記事にしました。
そしたら、サザンや、桑田の所属する『アミューズ』がとんでもない悪魔崇拝バンド、悪魔崇拝事務所である事、さらには「群馬人脈」という、現在日本を最も悪く狂わせている「出雲族」勢力の中心にだという事がさらに暴かれて、それだけでなく、三浦春馬を殺し、児童虐待、小児愛者のための施設を作っていた事などが分かりました。
(そのうち、アメブロで書いた記事は全て、削除されてしまいました)
アメブロで書いていた、サザンオールスターズの真実に関するブログが削除されてしまいました。
サザンオールスターズの真実 創価企業アミューズは悪魔崇拝でのし上がりイルミナティともつながる
創価企業である「アミューズ」所属の三浦春馬は、創価学会によって殺されました。
「宇宙の嘘」から、サザンオールスターズは、キリスト教を破壊し、本当の神様を冒涜するために意図的に作られたことが明らかに。
「サザン」は本当の神を冒涜するための悪魔崇拝バンド ①3.11のチャリティソングは放射能が危険だという嘘を「洗脳」するために作られた。
「サザン」は本当の神を冒涜するための悪魔崇拝バンド ②桑田佳祐はひとりではありません。
「サザン」は本当の神を冒涜するための悪魔崇拝バンド ③サザン成功の秘訣はどこまでも忠実に人々を「悪魔思想」に洗脳したこと。
自分が「歌や音楽」に対して、失望したのは、それらが皆、「サタン」によって堕落した音楽だったからだ、という事を知りました。
そんな中、過去の御言葉を学ぶうちに、信仰の4本の柱の中に「賛美」というものがあると知りました。
それを聞いた時に、初めは少し、抵抗したくなる思いが出ました。
歌うことについて、ものすごく求めながら、自分の夢はかなわないのだ、と諦めていたので、歌を歌う事が「怖い」と思っていました。
しかし、2017年9月から、RAPTさんが建てられた教会で、御言葉が宣布される「朝の祈り会」音声の中で、冒頭に、奈々さんが賛美歌を歌っておられるのを聞いて、心底驚きました。
聖霊に満たされて、どこまでも清く、それでいてとても力強い歌声に、歌に対する概念が変わりました。
この当時歌われていた賛美歌は、のちに工作員だと判明した人物が作ったものだという事は分かっていましたが、当時の私は、奈々さんの歌声を聞き、一緒に歌う事で、救われて、聖霊を感じ、恵みをいただいていました。
しかし、やはり当然のことながら「工作員が作った賛美歌」という思いが頭から離れず、今自分がこの歌を賛美している事を神様はどのように感じておられるのだろうか、と、祈りもがきました。
大変な罪を犯してしまっているのではないだろうか、と祈りもがきました。
しかし、奈々さんが歌われるその「歌声」を聞いていたかったし、一緒に歌っていたくて、また、ものすごく恵みや聖霊に満たされる事もあったので、祝福してくださっている事もあるのか、と思いました。
そこで、真に神様を愛し、信仰している人達の賛美を歌いたい、と願い祈っていたら、youTubeで、兄弟姉妹と思われる方が賛美歌をアップされているのを知り、その方の賛美を頻繁に歌うようになりました。
また、既存の教会で作られた、youTubeでアップされている賛美歌も歌っていました。
そして、同時に、奈々さんの賛美を聞きたい、そして、後ろめたい思いを抱くことなく、堂々と奈々さんの歌声を聞いて賛美したい、と願っていました。
そしたら、今年の4月から、奈々さんが「Instagram」で、賛美歌を歌ってくださることになりました。
待っていました! NANAさんの讃美歌が、INSTAGRAMで聞けるようになるそうです。
待ちに待った奈々さんの賛美歌、しかも、だれでも聞きたいと思ったら、すぐに聞くことができる!
まずは、既存の教会で歌われている賛美歌を紹介してくださいましたが、youTubeでアップされている人達のものとは全く違いました。
やはり「聖霊」に満たされた方が歌っているからだと思いました。
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そして、毎日、奈々さんと一緒に、インスタを通して賛美した事で気付いた事は、世の中の歌手で、優れていると言われている人でも、ほぼ聖霊に満たされていない、という事です。
たしかに、音程が外れているわけではないから、上手いのだけれど、それは自分のため、経済のために歌っているので、エゴっぽい歌になるのですよね。
既存の教会で歌われているものでも、奈々さんを通して歌われると、その「賛美歌」に新たな命が吹き込まれるかの如く、何か違う、新たな賛美歌になっているのでは、と思う時もありました。
そして最近では、信者の方が作られた賛美歌も歌ってくださるようになりました。
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ちょうど1年前に賛美をしていた時は、まさに先ほど書いたように葛藤しながら賛美していたので、まさか、今のような形で、奈々さんの賛美歌を聞きながら一緒に賛美ができるとは、夢にも思っていませんでした。
奈々さんの賛美に合わせて一緒に賛美できる、という、恵みを神様が与えてくださり、その生活に慣れ親しんでいた今年7月、「朝の祈り会」の御言葉で、「天の文化、芸術を行って、生計を立てられるものとなりなさい」と宣布されました。
2021年7月1日(木)
サタンが一切働けなくなった今、何ものにも邪魔されることがなく主の霊感・構想を豊かに受けた者が、天の文化・芸術を成して、天の歴史をこの地に大きくなしていくことができる。
2021年7月3日(土)
人々に恵みを与えるような天の文化・芸術を成して生計を立て、伝道できるようになれば、それこそが地上天国の生活だ。
これは、ずっと前から、頻繁に御言葉で宣布されてきた言葉でした。
しかし信仰を持って間もない私は、すぐに受け入れられるレベルにはなかったので、まずは歌う事に対する恐れを取り除き、とにかく、「神様を賛美する」事だけを考えて、賛美の条件を立ててきました。
その生活を1年ほど行って、ようやく、「天の文化芸術を成す」という事と、賛美をすることについて、同時に考えはじめるようになりました。
今までは私自身が、「賛美歌を歌う」事を、天の文化芸術として発信する、という事など想像できなかったからです。
(そう思うのは、サタンによる罪の考えに他なりません。)
しかし、以前、『RAPT理論+α』内の、エリカさんが証をされている記事の中で、2019年の御言葉を紹介されていました。
〇RAPT有料記事365(2019年4月8日)我々人間はただ主を愛するという一事さえ究めれば、この世でも栄え、あの世でも永遠の救いを受けられる。
その記事の中に「神様を証するために、天の文化芸術を成しなさい」と書かれてありました。
私が今、賛美というものを教えていただき、歌っているのは、神様がおられるからに他なりません。
神様がおられなければ、賛美というものは存在しません。
私にとって、神様を証するもの、というのは、「賛美」だと思いました。
つまり、自分が今、賛美をしている間は、神様を証しているのだ、と思ったのです。
信仰をもつまでは、あんなに歌手になりたい、と思いながらも、能力も才能もなく、また、実際に歌いたいと思える歌もにない、と絶望していた状態から、生活している中で、「神様を歌で賛美する時間」を作ってくださった訳です。
生活の中に、「神様を賛美する時間」があるなんて、どれほど恵まれた生を生かさせて頂いている事でしょうか!
さらに、自分が「天の文化芸術を成す」というレベルに達するまで、賛美歌を歌えるようになりたい、と思ったのには、もうひとつ理由があります。
それは、「神様は、人間を「神」をかたどって作られた」と聖書で教わったからです。
創世記1-27
神は御自分にかたどって人を創造された。
にかたどって創造された。
(新共同訳より)
とくに昨年は、奈々さんが歌う賛美歌を聞き、一緒に歌っている中で、あまりにもの自分との歌唱力、表現力、音程の正確さの違い、そして何より聖霊に満たされて歌っておられる、という圧倒的な違いに、自分の能力のなさをつくづく感じていました。
しかし、今年に入って、「神様は、人間を「神」にかたどって作られた」という御言葉を受け入れるだけの自分の心に余裕が生まれたのです。
これは、私が成長した、というよりも、神様がサタンを滅ぼしてくださった「ハルマゲドン」の影響だと思いました。
人間を神様にかたどって作られたのであれば、私だって、信仰の4本の柱をちゃんと立てて、義の条件を立て続け、技術が上がり、「聖霊の賜物」を表現できるような歌声になるように祈り続けて、練習を続ければ叶うと信じていいんだ、と思いました。
とはいえこれが、神様の真の御心なのかはまだ分かりません。
「そんなに簡単に御心が見つかるわけではない」と御言葉で教えてくださっています。
お祈りの中で、「賛美歌を歌う事が御心ですか」と聞くと、たしかに聖霊を感じます。
また、「ブログ記事を書く事が御心ですか」と聞いても、聖霊を感じ、祈りが深く入る感じがします。
私はまだ、信仰を持って、1年と8か月ほどしかたっていません。
これから何年も信仰生活を続けることで、もっとはっきり御心が見つかっていくのだろうと信じています。
世の中は、コロナ茶番で、ひっちゃかめっちゃかな状態になっています。
しかし、世の中の状況から少し離れて、ひとりになって、神様に「賛美歌」を捧げる時、なんとも言えないくらい幸せと喜び、そして、賛美というものを教えていただき、賛美させていただける事が本当にありがたいのです。
これは、実際に賛美をした人にだけ分かる事だと思います。
そして賛美すればするほど、神様の深い愛を感じ、「聖霊」をも注いでくださるので、本当に幸せな思いになります。
人によっては、「綺麗事」に聞こえるかもしれません。
私自身も、大変「ひねくれた思考パターン」を持っていた罪人でしたし、それらが完全になくなるように、今も日々もがいています。
しかし言えるのは、「神様を賛美する事」というのは、世の中のどんな娯楽や快楽よりも、想像を絶する喜びや幸せ、希望を与えてくださる、という事です。
そして何よりも、ただ賛美するだけでなく、神様が本当におられるのだ、という事を信じて悟った上で、賛美をしたときに、本当に世の中のどんな娯楽や快楽よりも、想像を絶する喜びや幸せ、希望を与えてくださる、という事です。
世の中でも、歌の力を肌身に感じている人達は多いと思います。
歌によって人は励まされている人達も多いと思います。
私自身も、信仰を持つ前は、桑田佳祐の音楽や世の中の音楽を聴いて、希望を持ったり元気にしてもらったりしていました。
しかし、それらは、一時的なもので、「刺激」は与えてくれますが、それで終わりです。
しかもそれらは皆、「サタン」から構想を受けて作られているものなので、残るのは、「虚しさ」「飢え渇き」です。
だけど、賛美はそうではないのです。
歌うことで自分達が、「真の音楽」に参加できるのです。
それだったら、世の中の歌も、歌っている時は、世の音楽に参加しているのだから、一緒じゃないか、と思われるかもしれません。
しかし、賛美によって得られるのは、喜びや希望だけでなく、「恵み」なのです。
果たして、世の中の音楽から「恵み」を受取る事はできるでしょうか。
とにかく、自分の日常生活の中に「神様を賛美する時間」がある事が、幸せで仕方ありません。
今日のこの記事は、そのことを証したくて、書かせていただきました。
最後までお読みくださりありがとうございました。
真の神様と共に生きる事を選択した人達による「神様の証」はこちらでもお読みいただく事ができます。